静岡県博物館協会
静岡の博物館へGo!しずはく.net
トップページへ
お知らせ イベント情報 会報紀要 施設一覧
  会報
 
平成14年度 静岡県博物館協会総 ─ 議事抄録─
日時 :平成14年5月24日(金) 15:00〜16:00
会場 :静岡県立美術館講座室
1.開会
出席は24館園、委任状32館園、計56館園で、協会加盟77館園の過半数に達したため、協会規約15条により総会は成立した。

2.会長あいさつ

3.議事
(1) 役員改選(別表参照)
(2) 平成13年度事業実績および決算報告事務局からの報告により原案どおり承認された。
(3) 平成14年度事業計画および予算案事務局から原案が提出され可決された。事業の主な項目は次の通り。

特別講演会の実施
学芸員研究会の実施(年2回)
静岡県博物館協会会報(No.49・No.50)の発行
静岡県博物館協会研究紀要第26号の発行
静岡県博物館協会研究紀要 第29号の刊行
東海地区博物館連絡協議会総会への参加(平成14年7月4日〜5日)
(4) 新規加盟館園について
昨年の総会で結論が保留になっていた芸術の森ろう人形美術館&メキシコ館(伊東市)の加盟申請については、同館から加盟申請の取り下げがあった。
6.閉会
静岡県立美術館の飯田真主任学芸員による「大トルコ」展の概略説明の後、自由見学。その後、親睦会に移った。
静岡県博物館協会役員名簿(任期:平成14〜15年度)
会長 静岡県立美術館長 吉岡健二郎
副会長 東海大学博物館長 久保田 正
  浜松市美術館長 袴田 明宏
理事 MOA美術館長 吉岡 庸冶
  下田海中水族館長・総支配人 児玉 正志
  熱川バナナ・ワニ園長 木村  智
  佐野美術館理事長 緒明  實
  三島市立郷土資料館長 福田 淑子
  富士美術館長 小山  満
  久能山東照宮博物館長 落合 偉州
  駿府博物館長 島田 圀郎
  静岡市立登呂博物館長 近藤  糺
  浜松市博物館長 櫻井 芳夫
監事 静岡アートギャラリー館長 久保田文雄
学芸員研究会委員名簿(任期:平成14〜15年度)
研究会委員 伊豆三津シーパラダイス 学芸員
(海獣飼育マネージャー)
鈴木 規泰
熱海市立澤田政廣記念館 学芸員 相磯  浩
東海大学博物館 学芸員 毎原 泰彦
豊田町香りの博物館 学芸員 伊藤八重子
掛川市二の丸美術館 学芸員 戸塚 和美
紀要編集委員 紀要編集委員は、必要に応じて依頼する。


平成14年度 東海地区博物館連絡協議会理事会・総会の開催について
 
愛知県、山梨県、神奈川県、岐阜県、静岡県の県博物館協会で組織する東海地区博物館連絡協議会の理事会・総会が、去る7月4日(木)、5日(金)に開催されました。

【理事会】理事会は4日の午前中、静岡県埋蔵文化財調査研究所において(財)日本博物館協会の五十嵐耕一専務理事をお招きし、協議会の理事12名、監事2名、事務局5名の計20名で開催されました。今年度当番県となる静岡県博物館協会長の吉岡健二郎が協議会の会長を兼務することから、吉岡会長が議長を務め、次の議題について審議しました。
  1. 平成14年度東海地区博物館協議会理事及び監事の選任
  2. 平成13年度事業報告及び決算報告
  3. 平成14年度事業計画及び予算案
  4. 平成14年度表彰
  5. 平成15年度開催県
  6. その他
このうち、4の表彰については神奈川県博協から推薦のあった川崎市夢見ヶ崎動物公園前館長の岩本保則氏の表彰が決定され、午後の総会において表彰状及び記念品の授与が行われました。
また、5の来年度開催県は、持ち回り順により愛知県と決定されました。
6「その他」の中では、静岡県立美術館の泰井学芸員から同館における美術館評価の取組みについて報告がありました。
【総会】総会は、同日午後1時30分から2時40分まで静岡県立美術館の講堂において、計91名の方の御参をいただき盛大に開催されました。
冒頭、静岡県教育委員長の祝辞を披露した山本昇平県教委文化課参事からは、博物館の果たす役割として、これからの生涯学習社会においては、各地域の人々の多様な学習活動を支援するための機能をさらに高め、学びたいことを自ら主体的に学んでいけるような場としての役割を一層積極的に果たすことが求められているとの御提言がありました。
続いて、(財)日本博物館協会専務理事の五十嵐耕一氏から「日本博物館協会の主要事業と最近の動向について」と題して、1.イコム国際博物館の日記念事業とイコム 2.博物館の基準・評価 3.博物館による学校への学習支援 4.独立行政法人、財団法人への管理委託、市町村合併 5.文化芸術振興基本法 6.入館者数の推移について説明がありました。
総会議事終了後の講演会では、「東アジアの茶文化」と題して静岡市立商業高等学校校長の中村羊一郎氏に御講演いただきました。
翌5日(金)は、静岡市立芹沢 介美術館、(財)清水港湾博物館(フェルケール博物館)、久能山東照宮博物館の施設見学会を実施し、46名の方に御参加いただきました。
伊藤浩和(静岡県立美術館総務課)


展覧会報告 掛川市二の丸美術館
中村彝とその仲間たち展
−夭折の画家彝と曽宮一念、鶴田吾郎、中原悌二郎たち−
日時 :平成14年9月14日(土)〜10月14日(月・祝)
▲中村彝《裸体》
大正5年茨城県近代美術館
今秋、掛川市二の丸美術館では、「中村彝とその仲間たち展」を開催しました。この紙面をお借りして、本展覧会の内容と、中村彝と掛川市の関わりを中心とした本展覧会の特徴をエピソード的に紹介させていただきます。
明治から大正期かけて活躍し、若くして世を去った洋画家中村彝。37歳と5ヶ月という短い生涯に重要文化財「エロシェンコ氏の像」、「髑髏を持てる自画像」などの傑作をはじめ、先駆的な表現と鋭い感性をもって数多くの作品を遺しました。彼は最後まで芸術に対する意欲を失わず、当時の不治の病である結核と闘いながら画業に励みました。
本展覧会では、「中村彝とその仲間たち」をテーマに、彝と彼を取り巻いた仲間の作品をとおして日本洋画の黎明期の一様相を広く市民、県民の方々に紹介することをコンセプトとしました。
さて、中村彝と掛川市との直接的関わりはありませんが、彝を取り巻いた、師と仲間たちを通じた間接的関わりを見出すことができました。一つは、白馬会時代の中村彝の師である黒田清輝を通じた当市との関係です。掛川市にある大日本報徳社に黒田清輝の作品が収蔵されていることがわかりました[黒田清輝「岡田良一郎肖像」1906(明治39年)]。
その肖像画に描かれた人物、岡田良一郎は掛川市の出身で、二宮尊徳の高弟であり報徳運動の中心人物として全国的に知られた農政家です。良一郎の息子良平と、黒田清輝の関係は、黒田が明治40(1907)年の第一回文展開催当初から審査員を歴任中、良平も同時期文部大臣を務めており、文展を通じて両者は面識がありました。黒田は当時の政治家、財界人をはじめとする著名人の肖像画を多数描いており、岡田良一郎肖像も、文展を通じた良平との縁あって描かれたものと考えられます。おそらく父良一郎の偉業を顕彰すべく、息子良平が黒田に依頼したものと考えられます。
長い間、大日本報徳社に保管されていましたが、その存在はあまり知られておらず今回が初めての本格的な公開になります。
もう一つは、静岡県ゆかりの画家、曽宮一念と彝、曽宮と掛川の関わりです。東京生まれの曽宮一念は、明治44(1911)年東京美術学校に入学後、文展等に入選を果たし早くから頭角を現しました。大正5(1916)年に中村彝に知遇を受けると、大正10(1921)年には彝の住む下落合に自らもアトリエを構え、その後も病床の彝を度々見舞うなど、彝への兄事、敬愛ぶりが窺えます。
彝がレンブラント、ルノアール、セザンヌなどの古典派、印象派への傾倒であったのに対し、曽宮は当時の新進ムーブであったフォーヴィスムへの傾倒と、その志向は異なるものでしたが、お互いの画業への真摯な姿勢を認め合いながら敬愛を深めました。
曽宮が静岡とゆかりを持つのは、昭和20(1945)年疎開による富士宮市への移住でした。移住後も中央画壇へ の作品発表を続け、さらに様々な文筆活動にも従事し晩年まで静岡を舞台に活躍しました。また、掛川在住の洋画家青木達弥とも交友があり、度々掛川を訪れ周辺のスケッチ作品も遺しています。
彝の静岡県への足跡は、伊豆、清水、焼津に写生に来たことがわかっておりますが、掛川を含めたそれ以西への足跡はありません。しかし、直接的ではないにしろ上述したように、師や仲間を通じた交友の足跡を、少々無理はありますが掛川とのゆかりと考えてもいいのではな
▲中村彝
《カルピスの包み紙のある静物》
大正12年茨城県近代美術館
いでしょうか。そんな目に見えない彝の足跡は、交友を紐帯として多くの人々に影響し彝自身も影響されながら、彝生誕の水戸、画業の地東京に限らず、日本各地に遺されていると考えられます。小さな足跡が掛川の地にも存在したことを考えながら、再び彝の作品に目を向けると尊厳な彝作品が身近に感じられました。
夭逝ではありましたが、あらためて彝を慕った人々の数、その交友の広さ、彝を通じた人々 親交の深さ、彝の影響力を垣間見たような気がします。
戸塚和美(掛川市二の丸美術館)
静岡市文化財資料館
(写真上より)
「竹に千成り瓢箪彫りきせる・桜に楓散らし彫りきせる・牡丹に蝶彫りきせる・折入角紋散らし彫りきせる」
掛川市二の丸美術館の木下コレクションは、たばこ道具を主体とする細密工芸品総数2,600余点を数える、当館の主要コレクションです。たばこ入れと並んで、コレクションの中核を成す、きせるについて紹介します。
日本にきせるが伝えられた年代は、天正年間(1570−1591)から慶長初年頃(1600年頃)と考えられております。初期に輸入されたきせるは南蛮ギセルと呼ばれ、細長い管状のごくシンプルなものでした。その後喫煙の風習にともない、日本でも独自のきせるが製作されるようになりました。江戸中期以降は、様々な形態、意匠のものが製作され、単に喫煙の道具であったきせるは、やがて用と美を兼ね備えた装身具として華美を競うようになり、金銀を使った贅沢な素材、華やかで凝った意匠のきせるは、たび重なる奢侈禁止令にも揺らぐことなく商人、町民に至るまで様々な階層の人々の人気を博しました。“粋な江戸文化”の代名詞ともなった喫煙具きせるは、明治の廃刀令以降新たなる進展をみせ、加納夏雄や海野勝 といった彫金師らによって、その技巧は引き継がれ数々の名品を誕生させました。
(池田恵美子・掛川市二の丸美術館学芸員)

研究紀要第26号の原稿を下記のとおり募集します。寄稿希望の方は、協会事務局へご連絡ください。ご寄稿お待ちしています。


1.内  容
各館園職員が日ごろ従事している職務(展示・調査研究・保存・教育普及・その他)
に関する報告・事例紹介・論文(専門分野に関するものに限りません。学芸職員以外
の投稿も大歓迎)

2.原稿分量
本文=400字詰原稿用紙に換算して10枚以上、写真・図表等(※フロッピーでの入稿を歓迎します。)

3.発行予定
平成15年3月末 

4.原稿締切
平成15年1月末

5.申込締切
平成14年11月末

ページトップへ

  Copyright the Shizuokaken Hakubutsukan Kyokai.all rights reserved.