 |
| ▲府中市美術館 志賀秀孝氏 |
明治洋画を振り返ると、吉田博の絵画の傾向、つまり自然と写実そして詩情の重視は、明治美術の一つの典型を示している。吉田博の軌跡は、ひろく明治美術や特に旧派と呼ばれた太平洋画会系の作家の理解に有用であるため、吉田博らの具体的な作風についてスライドを用いながら実作品を辿った。
静岡県立美術館で開催の「吉田博展」と府中市美術館で開催の「吉田ふじを」展について、10月2日朝日新聞に、「博らは、黒田清輝らの白馬会に対抗して太平洋画会という団体を作り、近代美術史上では、傍流の扱いを受け、ふじをは女性であることで、きちんとした評価対象になってこなかった。いわば、片隅に追いやられてきた存在の検証と顕彰。両展の同時期開催は、美術史見直しの機運が反映した現象」、「片隅におかれた夫婦の存在、再顕彰(の機会)。」(田中三蔵)と評された。このように昨今、明治洋画の新側面への掘り起こしへの期待が叫ばれているものの、今日までに総合的な見直しはされてきていない、この2
展はそうした声に呼応したものといえる。そこで、講演では、新派・旧派について整理し、今日的には本流と目されてきた白馬会の流れ(いわゆる新派)は、実は明治初年から流れる明治美術会ならびに太平洋画会の流れ(いわゆる旧派)の一部であることをこの代表作家である吉田博とふじをの画業をたどりつつ旧派全体について述べた。特に彼らに決定的影響を与えた不同舎について、私画塾(明治7
年の彰技堂とこれ以降の動勢)の性格と、その塾頭小山正太郎(指導方針)について、また彼の教えた写実精神(道路山水)について触れた。また、太平洋画会を創立するに至る吉田のアメリカ旅行については、同行した関連作家、満谷国四郎、中川八郎、鹿子木孟郎らの作品とともにその実際を辿った。さらに万国博覧会や、留学の問題から、彼らのめざしたものは、日本における
明治期の洋画表現確立という枠組みばかりではなく、フランスのみならずアメリカ圏(「太平洋」圏)に対する日本美術の表明にあった可能性を確認した。
|